自己破産物語 第2話

第2話 社会人スタート、そしてはじめての借金 

意図しない就職先での葛藤

2000年4月ボクは中規模のクリニックに就職しました。前回お伝えしたように、資格取得後1年間フリーターをしようと考えていたなかで意図しない就職でした。自分の優柔不断さが招いてしまった結果であるので誰のせいでもないのですが、これが転落への始まりでした。

3月の20日も過ぎたころに就職が決まり、25日あたりから研修が始まりました。同じ県内でしたが、実家から通うには少々距離があり、就職先からも緊急の呼び出しに対応できるようにクリニック近隣に住んでほしいということで、一人暮らしをしなければなりません。ですが、わずか5日間で3月の繁忙期にろくに部屋探しなどできるわけがありません。とりあえず即入居可能な物件を見つけて大慌てで引っ越しをしました。築25年の古びた物件でした。今でこそ築20年以上といってもそれなりの建物ですが、当時の築25年は相当古びた感じで、友達を呼ぶのも恥ずかしいなあと思った記憶があります。一応マンションという名の4階建ての建物だったのですがそれがまた恥ずかしかったですね。

この物件の敷金や生活に必要な家電などは、就職祝いという名目で親が出してくれました。そればかりか最初の給料をもらえるまでの生活費として40万円ほど工面してくれました。今考えるとほんとにありがたいことですよね。(この後そんな両親に悲しい思いをさせることになるのですが・・・)

こうして急であり、望んだものではないにしろ、なんとか新社会人としてボクはスタートを切ったわけです。

労働条件

そんな就職先の労働条件は・・・

日勤:800~17:00(休憩1時間)

準夜勤:14時~23:00(休憩1時間:手当4500円)

週休2日制(日曜日と平日1日)

祝日は勤務すれば休日手当(4500円)、代休はなし

このような感じでした。週休2日で残業もほとんどなく、良い労働環境にも思えますが、夏休みや冬休みがほとんどなく(年末年始の6日間の代休くらい)、3連休すら取れない職場でした。今考えるととんでもないですよね。当時は普通だったのかなあ?

とにもかくにも働き始めるのですが、なにが辛いって、朝起きるのがめちゃくちゃ大変!

だってそれまで朝早くなんか起きたことないですもん!学生時代に大事な授業は朝から行ってたなんて書きましたけど、そんな日すら朝起きれず昼まで寝ちゃう、いや起きたら夕方だったなんてことも多々あったわけで・・・朝早く起きる習慣なんて皆無だったわけで・・・

でもそんなこと言ってられません。

なぜかって?前回も書きましたけどここに就職することになる原因の上司です。ちょーー怖かったんです。当時は鉄拳制裁も当たり前で、「遅刻したらクビだぞ!殴った後にクビだぞ!」と脅されていました。脅しじゃなく遅刻したら本気で殴られそうな感じでしたので、毎朝必死で起きてました。(今考えると、働きたくなかったんだから遅刻してクビになればよかったのに)などとも思うのですが、なんでしょね?変なとこで真面目なんでしょうか?そんな発想には至らなかったですね・・

それでも毎日暗い気持ちでした。8時勤務スタートといっても「始業30分前には来い!」という上司の方針で7時30分には職場にいました。ある日職場の時計が7時35分を指しているのを見て、「俺、こんなところでこんな時間に何やってんだろ?」とむなしいのか切ないのか、説明できないような気持になったのをはっきりと覚えています。

そんなもんだからめちゃくちゃストレスが溜まっていました。

パチスロを打ちまくる日々

毎日晴れない気分で仕事をしていましたが、そんな気分を晴れやかにしてくれるのがパチスロでした。(いよいよ借金のにおいがしてきましたね。)

勤務は17時にはほぼ終わります。毎日職場からパチ屋に直行でした。友達と遊ぶ日以外はほとんど毎日行ってましたね。しかも閉店の23時まで5時間ほど打ちまくっていました。休みの日は朝から晩まで腰を据えて打ってましたね。当時メインで売っていたのが大花火でした。今では考えられませんが何時間打ってもまったく飽きませんでした。そんなに毎日打ってお金は大丈夫なのかという話なんですが、このころは意外と大丈夫でしたね。通っていた店が頑張って出してくれていたというのもあるのですが、まあ勝ったり負けたりでしたけど、生活に打撃になるようなこともありませんでした。

じゃあなんで借金まみれになったんだって話なんですけど、もうちょっとお付き合いください。(背景もしっかりお伝えしなければという考えなので)

給料と生活費

ここで当時の給料と生活費はどのようになっていたか振り返ってみます。

毎月の給料

基本給16万3000円

住宅手当35000円

その他もろもろで総支給が約20万円ほど・・・

一年目なので住民税がなかったこともあり、手取りで16万円くらいだったと記憶しています。

支出

家賃56000円

車のローン25000円

携帯代10000円

電気・ガス・水道10000円

生命保険10000円(親が入ってくれていたものを引き継がされた)

これで11万円ほど・・

残りが5万円くらいですがそれで食費とお小遣いです。

友達と結構頻繁に飲みに行ったりもしていたので、食費と飲み代で5万以上は使っていたと思いますが、毎日パチスロを打てているのでやはり少しは勝ててはいたのだと思います。

ところがそんな環境が一変します。

時は2000年7月・・・あるパチスロ機が登場することでボクの懐事情が大きく変化することになるのです。

爆裂AT機獣王爆誕!

そのパチスロ機とは、そう爆裂AT機の獣王です。これを読んでくれている人は知っているものとして書いちゃってますけど、一応説明しておきます。

それまでのパチスロというのはボーナス役(BIGボーナス・REGボーナス)を引くことでメダルを獲得していました。先の大花火ではREGだと100枚程度、BIGだと平均600枚程です。当時は1枚20円の等価交換でしたので12000円ほどの出玉です。通常時はメダルを消化しながらボーナスを待つ・・・というのがそれまでのパチスロのゲーム性でした。

ところがこの獣王という機種はなんと通常時のハズレ役で抽選を行い、それに当選するとサバンナチャンスというAT(アシストタイム)に突入してボーナス以外でもメダルを獲得できるというシステムだったのです。

この機種の登場によりメダルを10000枚獲得する(万枚出す)ことも非日常ではなくなりました。ひとたび大きいところを引けば短時間で大金が入るのです。

ボクはこの獣王を初めて打った時に万枚出ました。20万円ですよ!5時間ほどで!

案の上この機種にハマってしまいました。

もうお分かりだとは思いますが、短時間で大量のメダルを獲得できるということは、その逆もしかりで、お金が無くなるスピードもこれまでと比較にならないほど速いのです。

それまで比較的安定して勝てていた僕ですが、この獣王登場以来負けが込んでしまいます。

負けが込んだからと言ってパチ屋に行くのをやめるわけはありません。

それまで毎日のように通っていたんですもの。仕事のストレスが一因とはいえ立派な依存症ですよね。もうこのころには冷静な考えができなくなっており、使ってはいけないお金(家賃など)にも手を付けるようになっていくのでした。

9月から10月にかけて、全財産がなくなりかけて一発逆転!というのを2~3回繰り返しましたが、世の中そんなにうまくは行きません・・・

とうとう2000年の11月にどうにもならない事態に陥ってしまったのです・・・

はじめての借金

その年の8月に友達同士と飲んでる最中に、だれからともなく「沖縄に旅行に行かないか?」という話になりました。ボク自身沖縄にはいったことがなかったので即答で「行こう」となりました。シーズンはズレますが11月に行こうということになり5人で旅行を計画したのが11月でした。

旅行代金は払っていましたが、遊ぶお金がありません。どうしようか思案していたところ街を歩いていると、黄色い看板のプ〇ミスのティッシュ配りをしているではありませんか!

「お金借りれるのかな?」単純にそう思い無人ATMに駆け込みました。

結果的には30分ほどのやり取りで50万円まで借りることのできるカードを手に入れることができました。

その時はどう思ったんでしょうか?あまり覚えていません。

旅行のお小遣いとして5万円借りた事は鮮明に覚えているのですが、借りれるとわかってどういう気持ちになったのかは定かではありません。返済はどうしよう?とか考えたのでしょうか?覚えていません。あまりにも考えかたが短絡的だったんでしょうね。

とにもかくにもこうしてボクの借金人生はこうしてヌルッと始まりました。

依存所のボクがいつでもお金を引き出せる(間違った考え方💦)カードを手にしたわけです。今後どうなっていくか皆さんおわかりでしょうね。

第3話 借金爆増!につづく

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